志村けんさんの死から考えること(後半)

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また同じく皮肉なのが、自粛で疲弊しているはずのエンタメ業界に身を置くX-JAPANのYOSHIKIが、この新型コロナウイルスに関する騒動の当初から一貫して、ライブその他の危険性を伝えてきたことです。
政治家やワイドショーのコメンテーター、そして数多くの有名人たちが、この1、2か月の間でその立場を二転三転させる中で、YOSHIKIの姿勢はどんなに立派かと思います。当初このウイルスの危険性がそれほど認識されていなかった段階では、「何をそんな大袈裟な」と、嘲笑されることも少なくなかったと思います。それでもその危険性について真摯に発信してきたYOSHIKI。自分が知らず知らずのうちに他人を傷つけてしまう危険性、こうしたことをYOSHIKIはその敏感な感性で感じ取り、必死に発信してくれていたのでしょう。

「ライブへ行くのは自己責任。」そう言っていた人たちの「自己責任」とは、一体どこまでが「自己責任」なのでしょう。
感染のリスクを冒してまでライブへ行った以上、自分が新型コロナウイルスにかかって苦しむのは言うまでもなく自己責任でしょう。さらに、自分が行かなくても良いライブに行ったがためウイルスにかかり、他に重篤化した患者を診るはずの医者の貴重な時間を削ることになっても、それも立派な自己責任ですよね。でも一体それはどう責任を取れば良いのでしょう。
究極的には、自分が知らず知らずのうちウイルスにかかっており、それをまた知らず知らずのうちに志村けんさんにうつしていたら?直接うつしている可能性は限りなく低いでしょうが、自分がきっかけで大勢の人を介して志村けんさんまでウイルスを届けていたら?責任なんて取れる訳ないですよね。
「自己責任」を簡単に口にする人は、その責任の重さを無自覚に発していると思います。私も含め、日本国民、いや世界の人々が、自己の他人へ与える影響を、今回の新型コロナウイルスを通じて、改めて考え直すときなのかなと思います。それによって少しでもこの世界が良い方向に向かえば、今回の全世界的な不幸が単なる不幸で終わらず、またウイルスで死んでいった方々の死が無駄にならずに済むのかと思います。

また最後に、今回の新型コロナウイルスのおかげで、我々の経済がいかに不安定で頼りないものの上に成り立っていたのかがよくわかりました。いや、その経済そのものが、今回のウイルスの爆発的な蔓延を生み出したといっても過言ではないと思います。経済的な価値観が盲目的に第一優先される社会、またグローバリズムが絶対的な善として認識されている社会、改めて当たり前の価値観をもう一度疑ってみる時期に来ているのではないでしょうか。私はそう思います。

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