子どもを公立に入れるか私立に入れるか(後半)

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これまでの話を、以前、元高校教師の方と立ち飲みしながら熱く語ったところ、「〇〇さんの言うことは正しいと思う。でも、それは〇〇さんが公立の学校に通って、そこの経験から導き出したもの。決して間違っていないと思うけど、〇〇さんの子どもは違う結論を導き出すかもしれないよ。そのときは子どもの結論をちゃんと尊重してあげなね。」

この言葉は今でも、自分の中の教育上の一つの指標として大事にさせてもらっています。公立・私立の選択に限らず、子どもが社会に出るとき、あるいは何か自分の道を見つけて進むとき、サラリーマン経験しかない私にはそれ以外の判断指標がないのです。
例えば子どもが「芸能界に行きたい」と言い出したら、私は何と考え、どんなアドバイスを子どもにすべきでしょうか。「高校くらいは出ておきなさい。」なのか、「高校なんて辞めて一日でも早く芸能界へ入って、その世界を極めなさい。」なのか。しかし私の言葉のどちらも、子どもにとっては軽いものになってしまいそうです。

どんな子どもでも当たり前のように大学等へ進学して、サラリーマンになることが最善だとは思いません。大変失礼な例えだとは思いますが、芸能界だからこそ活き活きと仕事をしている方でも、サラリーマンには向かないだろうなって方は幾らでもいると思います。それでも親が無理やり大学等へ進学させ、そのままサラリーマンにさせようとしたら、腐ってしまっていただろう人は数え切れないと思います。

そして、サラリーマンが安定しているというのは妄言です。もちろん、自営業で収益・費用、資産・負債に対して全て責任を持つというのは当然厳しいと思います。
しかしながら、サラリーマンだって自分に向かない仕事、自分とは決して相容れない会社風土・合わない人間関係の中で毎日を送るなら、会社が潰れなくても自分自身が潰れてしまう危険が大いにあります。そうしたことにならないよう、サラリーマンが安定しているという安易な思い込みの基に、子どもの可能性を狭めてしまうことは避けるべきです。

話があちこち飛んでしまいましたが、私は公立小・中学校という多種多様なクラスメイトの集まる貴重な機会を、できれば我が子に経験して欲しいと思っています。高校に上がってしまえば、私立だろうと公立だろうと、少なくとも偏差値上の振り分けがなされ、そこはコントロールされた世界です。私が公立の小・中学校にこだわる理由はそこです。
しかしながら、子どもが明確な将来像を描いており、そのためには特定の私立校に通う必要がある、また、子どもが純粋過ぎるが故に公立の学校では生きていけない、等の事情があれば、親として柔軟な対応をすべきであろうとも思います。
いずれにせよ、親としてある程度の方針を持ちながらも、あくまでそれは自身の経験や価値観に基づくもの、そこに拘り過ぎるのが危険であることをしっかり自覚しつつ、子どもと共に時には悩みながら将来に向かって進んで行こうかと思います。

(終わり)

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