多摩川で50人バーベキューって(その1)


先日の投稿で、山梨~東京間を移動した新型コロナ陽性者へのバッシング等について触れました(「山梨~東京間を移動した新型コロナ陽性者について」参照)。
でも次から次へと色々な人達が出てきますよね、今度はバーベキューです。
(「多摩川で50人がBBQ 主催の男性、警察などに「『自粛ってどういう意味ですか』って言ったんですよ」…「とくダネ!」でインタビュー放送」)
上がリンク切れしたので、こちらへ

パチンコはお店に入ってしまえば他人の目は気にならなくなるでしょうけど、河川敷のバーベキューって常に他人から見られている訳ですよね。どういう神経しているのでしょう。しかも50人ですよ。
3密かと問われれば、一応開放空間な訳ですが、それだけの大人数で長時間ダラダラ酒飲んで食べていれば、同じことですよね。

新型コロナウイルス関連の人々の反応を見ていて、日本語を理解する力が大いに欠けている人って相当数いるのだなと感じています。上のバーベキューの例で言えば、3密でない=安全だからオッケー、もしくは自粛だから必ずしも従う必要がない、ということでしょうか。

法律の分野で、よく限定列挙と例示列挙って出てきますよね。限定列挙は、列挙された物事のみが法律で規制される対象となります。一方で例示列挙は、列挙された物事はあくまで例示であり、法律の趣旨に則った上で列挙された以外の物事も法律で規制される対象となり得る、というものです。

私の中では、というより多くの方々の感覚だと思いますが、3密という基準はウイルスの感染を予防する上でのあくまで一つの例示であると捉えています。3密以外であれば安全という限定されたものではなく、3密という基準を参考にしながら、社会生活の中で応用して解釈していくべきものでしょう。

またこれも法律分野でよく出てきますが、反対解釈ってありますよね。Aが真であれば、A以外は偽であるといったような。自粛についての解釈も、こういった短絡的な理解をしている方が意外と多いのではないでしょうか。自粛=強制ではない、だから従う必要はない、と。

しかしながら、そもそも法律で人々の行動を細かく規制し切れる訳がないのです。いや、独裁国家でもない日本において、そもそも国民の自由を大きく規制すべきではないのです。
Aが許されないから、A以外は全て許される、ではないのです。A以外の中には、法律に書かれていないが常識的に許されないもの、法律に書くまでもないことが含まれているはずです。

罰則のない自粛だからこそ、自らの常識がまさに試されているのだろうと思います。

(「その2」へ続く)

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